坂本龍馬と亀山社中そして料亭「花月」

長崎市「亀山社中記念館」

 

坂本龍馬と「亀山社中」の関係についてですが、簡単に言うと坂本龍馬が立ち上げた日本初の「会社」です。創設は1865年で薩摩藩、長崎の小曽根家の協力を得て創設したそうです。この2つが協力をしたのはスポンサーと言う立場からと言う見方もあります。

 

設立当時、亀山社中は筆頭が坂本龍馬、社員として勝海舟が設立した神戸海軍操練所にいた同志達で発足したそうです。海軍操練所はその時には既に閉鎖されており同志たちはそれぞれバラバラになっていた所を集められたと言います。

 

「亀山社中」の仕事は裏表が有った様です。表の仕事としては武器や軍艦を斡旋すると言う仕事をしていたのですが、その裏とは武器や軍艦を斡旋どころかイギリスの商人であったグラバー氏から薩摩藩名義として購入をして、長州藩がそれを購入すると言う流れの仕事の仕方をしていた様です。この実績が元々犬猿の仲であった2つの藩に信頼関係をもたらせる事となり、後々「薩長同盟」と言う動きに繋がっていったそうです。

 

また、長崎にあった料亭「花月」に関しては、龍馬を語る為に外せない物だと言われています。龍馬が作った亀山社中の隊士達は、日々白袴を履いて花月に通っていたと言われています。当時束の間の青春時代を坂本龍馬達は送っていた様です。その広間で酒によって坂本龍馬が花月の柱を斬り付けたと言う話もあり、証拠にその時の傷が今でも残されています。今では花月は文化財指定の「史跡料亭」になっていますが、当時は吉原と同じ様に日本三大遊里の1つとなっていたそうです。